【キングダム】太后(たいこう)の人生は波乱万丈?絶世の美女は嬴政の母!
本記事では、紀元前の中国を舞台とした大人気漫画『キングダム』に登場する太后(たいこう)について解説します。太后の苦労や波乱に満ちた人生とその行動は、キングダムの重厚なストーリーに深く関わっています。アニメ、原作の名シーンをもとに彼女の人生を見ていきましょう。
目次
【キングダム】太后とは?
太后は秦国の王である嬴政(えいせい)の母であり、キングダム初登場時は、政治に関与しないものの、後宮を束ね呂不韋(りょふい)や嬴政ですら手出しができない人物として描かれていました。太后とはどういった人物なのか、また、キングダムの概要やあらすじも解説します。
太后のプロフィール
太后はもとは趙国の首都である邯鄲(かんたん)に住んでおり、他国からも評判の絶世の美女でした。当時の名前は美姫(びき)です。評判を聞きつけた大商人、呂不韋に見初められるも、呂不韋の出世のため秦国の子楚に献上されます。後の秦国荘襄王である子楚の子供を産んだ美姫は、親子ともども趙国にとって憎い敵国秦の縁者として、残忍な扱いを受けます。多大なる苦労の後、秦国へ逃れた美姫は太后として後宮勢力を束ねる権力者となります。
キングダムの概要
『キングダム』は原泰久氏原作で、2006年から「週刊ヤングジャンプ」連載中の漫画作品です。春秋戦国時代の中国を舞台にした重厚長大な作風が人気を博し、2012年からアニメ第一シリーズがスタートしました。2013年に第17回手塚治虫文化賞の漫画大賞を受賞し、2019年には実写映画も評判となった大人気作品です。2024年1月からはアニメ第五シリーズの放映も決定、長期にわたり支持され続けています。
キングダムのあらすじ
紀元前、中国西方の秦国で下僕として暮らす少年信(しん)は、幼馴染の漂(ひょう)と大将軍を夢見て、日々剣術に励みます。秦王嬴政によく似た漂はある日、秦国に召し抱えられるも国内のクーデターに巻き込まれ、嬴政の影武者として命を落とします。漂の最後の言葉を頼りに嬴政と出会った信は、中華統一を目指す嬴政とともに秦国内外の戦を経て、大将軍への険しい道を歩んでいきます。
【キングダム】太后は嬴政の母!人生は苦労ばかり?
ここからは太后の、その苦労に満ちた人生について解説していきます。邯鄲での暮らし、呂不韋との出会いや実の子である嬴政との関係など、キングダムのストーリーから順を追って解説します。
太后の人生①「邯鄲の宝石」と呼ばれる美女だった
太后は秦国の人間ではなく、美姫という名で趙国の出身でした。趙の首都邯鄲では絶世の美女、踊り子として評判で、趙国内だけでなく他国にも「邯鄲の宝石」という異名で知られるほどでした。
太后の人生②婚約者は呂不韋だった
「邯鄲の宝石」と呼ばれていた美姫(太后)のもとに、ある日、大量の花と宝石が届けられます。贈り主は三国をまたがる行商人として、すでに大きな財力を持っていた呂不韋でした。やがて二人は恋仲となり、婚約します。
太后の人生③呂不韋によって子楚に差し出される
趙国で呂不韋は、秦の太子安国君の子である子楚とも出会います。趙国に人質としてとらわれていた子楚ですが、彼に協力すれば大きな力を得られると思い、呂不韋は子楚に近づきます。やがて、子楚は呂不韋の婚約者であった美姫を気に入ります。そして呂不韋は出世のため、美姫を子楚に献上してしまいます。
太后の人生④子楚との間に生まれた子供が嬴政
美姫は子楚との間にできた子供を産みます。二人の間に生まれた子供こそが、後の秦国の王となるキングダムの最重要人物、嬴政その人です。しかし、この時はまだ美姫、嬴政親子ともども秦の敵国である趙にいるため、人質となってしまいます。当然ながらその生活は、秦の王族として華やかな暮らしとは程遠い、苦労に満ちた悲惨なものでした。
太后の人生⑤非情な母親になる太后
嬴政を産み敵国秦の王族の母となったことで、人質として悲惨な生活を強いられ、苦労することとなった美姫は、その怒りを嬴政にぶつけます。わが子である嬴政を遠ざけ、虐待してしまいます。その後、秦国の助けを得て、ようやく趙国を脱することのできた二人は秦国で暮らすことができます。嬴政は後に秦王として、そしてその母である美姫は太后として、秦の権力者として返り咲きます。それでも太后は決して嬴政に優しい目を向けることはありませんでした。
太后の人生⑥嫪毐との出会い
ある時から、嫪毐という男が後宮に入るようになります。後宮は女官、もしくは宦官のみが出入りできる男子禁制の場所ですが、嫪毐は自らを宦官であると偽ることで太后に近づくことができました。嫪毐はもともと呂不韋が太后にあてがうために送り込んだのですが、太后の寵愛を受け、秘密裏に二人の子供をもうけます。
太后の人生⑦毐国の建国を宣言する
太后は山陽一体の統治を後宮に任せるよう申し出ます。これまで直接、秦国の政治に関与しなかった太后の、いきなりの行動でした。山陽は秦国の重要拠点であり、さらにその山陽長官に、無名であった嫪毐を推挙します。山陽統治を申し出た太后、嫪毐ら後宮勢力ですが、一行はさらに北上して太原に入り、今度は毐国の建国を宣言します。
太后の人生⑧毐国の反乱
毐国は後宮の豊富な財力で人材を集め、さらに南の大国である楚と密約を結びます。新興勢力ながら大きな力をつけた毐国で、大臣の虎歴は秦国の首都である咸陽に進軍し、反乱を起こすよう進言します。太后は両国の戦力差から慎重な姿勢を示していましたが、嫪毐との隠し子が咸陽に露見し秦国の怒りを買っている、とのことからやむを得ず挙兵を決断します。しかしこれは呂不韋の策略でした。毐国軍は嬴政が旧都、雍で元服を祝す「加冠の儀」を執り行うタイミングで咸陽に攻撃を仕掛けます。
太后の人生⑨嫪毐が処刑される
信たち飛信隊の活躍、昌平君の呂不韋への裏切りなどで咸陽を救うことのできた秦国軍は、無事反乱を鎮圧します。反乱の首謀者として捕らえられた嫪毐は、呂不韋の入れ知恵で宦官と偽り後宮に入ったことを述べますが、反乱を起こしたことは独断であると、太后をかばいます。太后は自身の策略であることを述べ、せめて二人の子供の命は奪わないよう嬴政に頭を下げますが、嬴政は反乱の目を残せないと答えます。その後、嫪毐は太后と出会え幸せだったと告げ、車裂きの刑にて処刑されます。
【キングダム】太后の史実と死亡した理由
ここからは太后の史実での記録と、その後死亡した理由について解説します。キングダム作中の描写と比較して史実通りの点、史実とは異なる点について述べます。
太后は史実で実在する人物
太后は史実でも記録が残されている実在した人物です。紀元前280年の趙国出身で趙姫とも呼ばれますが本名は不明です。婚約者の呂不韋に差し出され、子楚(のち荘襄王)と結婚します。嬴政を出産し、紀元前250年に秦国に移ります。翌年、夫である荘襄王の即位により王后に、紀元前246年には荘襄王の死去により息子の嬴政が王となったことで王太后となります。
キングダムの太后は史実通り?
キングダムでは呂不韋が趙にいた時代の太后のことを「美姫」と呼んでいますが、これは史実ではありません。史実では太后が趙国出身であることから「趙姫」と呼ばれていますが、これも本名ではなくあだ名のようなものです。呂不韋や嫪毐との関係、その後の反乱などは史記にも記録があり、おおむね史実通りであると推測できます。ただし、キングダムでは反乱後に嬴政が、太后と嫪毐の隠し子を密かに逃がしますが、史実では子供二人は処刑されており、これもキングダムのオリジナルです。
史実の太后が死亡したのはいつ?
太后は史実では紀元前228年に53歳で死亡しています。死後与えられた諡(おくりな)は帝太后です。嫪毐との反乱後、太后は処刑はされませんでしたが、秦の雍城に幽閉されます。その後、始皇帝となった嬴政の許しを得て、王城へ戻りそこで人生を終えます。
史実の太后が死亡した理由を考察
史実では晩年の太后に関して細かく記録が残されていません。秦国に対する反乱が鎮圧されてからは、歴史の表舞台から姿を消したため、記録がされなかったと推測されます。ここからは太后が死亡した理由について考察していきます。
死亡した理由①老衰か病気
秦国に対する、嫪毐との反乱を鎮圧された太后は、雍城に幽閉されることとなります。その後、幽閉は解かれることになりますが、53歳のとき秦国内で死亡しています。現代の感覚では早死にですが、当時の平均寿命は30歳前後であったと考えられており、53歳という年齢は王族であっても高齢に分類されますので、老衰、あるいは病気による死亡が有力ではないかと推測できます。
死亡した理由②自殺
太后の年齢は当時の平均寿命からは高齢であっても、秦国城内での暮らしを許された王族であるため、長生きしていてもおかしくありません。死亡理由の可能性として自殺もありえたのでしょうか。紀元前235年には元夫である呂不韋が、流刑地先の蜀で服毒自殺しており、このことが太后に何らかの影響を与えた可能性もありますが、そういった記録はなく推測の域を出ません。
死亡した理由③暗殺
他に考えられる理由として暗殺があります。太后は裏に呂不韋の策略もあったとはいえ、嫪毐を担ぎ上げて秦国への反乱を決断します。反乱は鎮圧されたものの、咸陽では民間人にも多くの死者を出していますので、再び秦国に戻った太后は多くの恨みを買っていたことは確かでしょう。これも記録にないので推測でしかありませんが、暗殺の可能性もあったのではないでしょうか。
【キングダム】太后の声優
ここからは、アニメ『キングダム』での太后を演じた声優について紹介します。母親でありながら、嬴政の政敵としての強い存在感と、呂不韋や嫪毐とも関係を持った妖艶な演技は、どのような人が演じたのでしょうか。
太后の声優は「坪井木の実」
キングダムで太后役を演じた声優は「坪井木の実」(つぼいこのみ)さんです。坪井木の実さんは劇団俳優座に所属し、数々の舞台、ドラマ、映画に出演しています。また、海外映画作品の吹き替えやナレーションも多く、俳優、声優として非常に幅広く活躍しています。
坪井木の実のプロフィール
- 名前:坪井木の実(つぼいこのみ)
- 出身:東京都
- 生年月日:1963年12月12日
- 所属:劇団俳優座
- 趣味・特技:映画鑑賞、音楽鑑賞、歌(歌謡曲、ミュージカル、ジャズ)
坪井木の実の主な出演作品
坪井木の実さんのキングダム以外のアニメ出演作品は「ブルードラゴン」(フェニックス)、「GONーゴン」(アイクイーン)などです。海外映画の吹き替えも多く「ロード・オブ・ザ・リング」(アルウェン)、「ダイハード4.0」(マギー・Q)、「ターミネーター4」(セレーナ・コーガン)など大作映画でも活躍しています。また、サスペンスドラマや時代劇など数々のテレビドラマにも出演しています。
【キングダム】太后に対する世間での評判や人気
キングダムでの太后の評価として、息子である嬴政への愛情が感じられなかったことが悲しい、という意見が多くみられます。一方で、嫪毐との間の子供は、嬴政に頭を下げて救うよう嘆願するなど、同じ子供でも、向けられた愛情に大きな差が出てしまっていることに、多くのファンは太后に対して怒りや悲しさをぶつけています。
太后は趙国で絶世の美女として名をはせたものの、呂不韋に裏切られてから多大なる苦労を強いられ、どん底の生活を経験しました。人生の栄華と転落を経験した波乱万丈さに、キングダムの登場人物として魅力を感じるファンの意見も見られます。
太后は史記にも登場する実在の人物ですので、キングダムと史実との違いなどに興味を持つファンの意見も目立ちます。中には史実に興味が湧いた、同時代を描いた別の映画作品なども見てみたい、といった意見も多く、太后はキングダムファンに強い印象を与えたキャラクターとなっています。
【キングダム】太后の人生は波乱万丈だった
太后は趙国に生まれ、呂不韋に見初められてから波乱万丈の人生を生き抜きました。嬴政を産み迫害されるなど苦労し、秦国では王族として暮らしますが、呂不韋や嫪毐とつながり、実の子である嬴政とは政敵として、対立してしまいます。クーデターは失敗に終わり、政治の表舞台から退場した太后は、今後、キングダムに再登場するのでしょうか。まだまだ続くキングダムを今後も注目していきましょう。
この記事のライター
PP西村
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