【キングダム】信は実在した李信がモデルになっている?大将軍になった?
『キングダム』の信は「天下の大将軍」を目指す主人公ですが、他のキャラと同様に中国の史実において実在した人物をモデルとしています。そんな『キングダム』の信の実在モデルについて、史実上の活躍や大将軍になったかどうか、子孫の存在などをまとめました。
目次
【キングダム】信とは?
『キングダム』の信は作品の主人公であり、様々な戦で活躍しながら「天下の大将軍」を目指していくキャラです。そんな『キングダム』の信のプロフィールを紹介します。
信のプロフィール
『キングダム』の信(シン)は戦災孤児かつ下僕の身分であった少年で、 嬴政と の出会いから将軍への道を歩み始める主人公です。作中の冒頭では少し成長した姿で「李信(リシン)」という名前で呼ばれており、後に将軍を名乗る際に姓がないと困るという理由で、李信と名乗るようになりました。その際には政の影武者になる前の親友の漂が李という姓を与えられたところから、自身も李の姓を受け入れています。
キングダムの概要
『キングダム』は2006年から『週刊ヤングジャンプ』に連載している原泰久の作品です。中国の春秋戦国時代の末期を舞台として、初の中国統一を果たした秦国を中心とした物語が描かれていきます。2011年にはテレビアニメ化しており、2024年1月には第5シリーズの放送が予定されています。また、2019年には山崎賢人の主演で実写映画化されており、2023年7月にはシリーズ第3弾が公開予定です。
キングダムのあらすじ
戦災孤児でありながらも天下の大将軍を目指す信は、ある日に親友の漂の死をきっかけに第31代秦王の嬴政との出会いを果たします。そこで刺客に狙われていた政を守り抜いたことから信は秦国に従軍することになり、様々な戦いで武勲を納めながら徐々に昇格していきました。一方で、政も秦王として他国への政治に悩みながらも中華統一を目指すために邁進していき、信と政はお互いに切磋琢磨していきます。
【キングダム】信は実在した李信がモデル?史実を解説
『キングダム』は、中国春秋時代の史実をベースにして物語が作られており、多くのキャラクターにモデルが存在しています。『キングダム』の信も実在モデルがいるキャラですが、作中での活躍に比べると史実での謎が多い人物になっています。そんな『キングダム』の信の実在モデルについて紹介します。
信は実在した李信がモデル
『キングダム』の信の実在モデルである李信は、中国戦国時代末期に後の始皇帝となる秦王政に仕えた将軍です。中国前漢の武帝の時代に司馬遷が記した『史記』において活躍が記されていますが、それ以外の中国の歴史書では李信の関する記述が断片的にしか掲載されておらず、不明な点が多くなっています。しかし、『史記』では政から信頼される将軍だったことが窺える記述が残されています。
実在した李信の活躍
実在した李信の史実上の活躍としては、紀元前225年に楚を征服を考えた際、王翦と李信の2人の選択肢がある中で、李信に侵攻を命じており、序盤の戦いでは大勝を納めています。しかし、城父の戦いにおいて奇襲を受けたことで多くの武将を失いながら大敗しており、結果的には王翦と蒙武が楚軍を滅亡させています。その後の活躍としては王賁や蒙恬と共に燕や斉の侵攻に参加して滅亡させていますが、李信本人の活躍は不明です。
実在した李信の最期
実在した李信は、史実における戦での活躍は記されていますが、生まれや最期についての記述は不明のままです。ただ、戦に参加している時点では若い人物であることはわかっています。また、楚での大敗の後も粛清されずにその後の戦に参加しており、後に李信の血を引く子孫が何人も登場していることから、戦の後も生きていた可能性は高いと推測されています。
実在した李信は大将軍になった?
『キングダム』の主人公の信は、幼少期からの目標として「天下の大将軍」になることを掲げています。一方、実在した李信については楚への侵攻を任される前から軍の指揮を取っており、将軍である記述は存在していました。しかし、大将軍まで上り詰めたかどうかは不明で、後の方で参加した戦では一兵団を率いる将軍でしかなかったことが窺えます。そのため、天下の大将軍という要素は『キングダム』独自のものである可能性が高いです。
【キングダム】実在した李信の子孫
『キングダム』の信の実在モデルである李信は史実上で不明な点が多い人物ですが、李信の子孫にあたる人物についてはある程度の資料が残っており、大将軍ではないものの中国の史実において重要な人物もいます。そんな実在モデルの李信の子孫について紹介します。
李信の子孫①李淵
李淵(りえん)は、566年4月7日から635年6月25日に実在した男性で、中国の王朝の1つである唐の初代皇帝となった人物です。隋の序代皇帝である文帝・楊堅の皇后・独孤伽羅が叔母であったことから官職に就いており、様々な役割を果たしていましたが、ある時に隋への反乱を決意しました。内部から徐々に動かしていき、第3代皇帝となる恭帝侑を傀儡にしながら、第2代皇帝の煬帝が死んだ際に皇帝の座を譲り受けます。
その後、626年に退位するまでは他国との争いを制していき、618年には唐の初代皇帝の高祖となります。しかし、戦において活躍を見せていた次男の李世民が次期皇帝として期待され始め、支持派の動きから徐々に立場を危ぶまれていきます。626年の玄武門の変において、長男の李建成と四男の李元吉を世民に殺されたことで、譲位して太上皇となります。譲位後は政治と離れて71歳で亡くなりました。
李信の子孫②李広
李広(りこう)は出生不明、紀元前119年まで実在した男性で、前漢の将軍として活躍した人物です。文帝・景帝・武帝の3代にわたって仕えており、文帝の時代には狩猟の際に猛獣を接近戦で倒すことで評価され、景帝の時代には武将の周亜夫の下で呉楚七国の乱を鎮圧するなど、様々な功績を残しています。その武勲から漢の飛将軍という称号で呼ばれていましたが、一方で軍人としてはやや恵まれない立場にありました。
武帝の時代には遊牧民族の匈奴との戦っていましたが、なかなか功績は挙げられず、紀元前129年には捕虜として捕らえられました。生き延びて都に帰ったものの、戦いに敗れたことで一時的に平民に落とされてしまいます。その後も匈奴との戦いでは振るわず、年齢を理由に軍を外されそうになります。それに抗議して戦いには参加したものの、案内役がいないことで戦に遅れてしまい、自らの不遇を憤りながら最後には自決しています。
李信の子孫③李陵
李陵(りりょう)は出生不明、紀元前74年まで実在した男性で、前漢の軍人だった人物です。李広は祖父であり、父親の李当戸は李陵が生まれる前に亡くなっています。戦においては武帝の時代に匈奴と戦っており、紀元前99年には一万の兵を倒すことに成功します。しかし、直後に李陵の軍も力尽きてしまい、降伏して勾留されました。ただ、李陵の態度を気に入った匈奴の君主である且鞮侯から引き抜きを受けていました。
李陵はこれを断っていましたが、武帝が李陵を迎え入れようとしていたタイミングで、他の李将軍が漢を責めようとしている情報が間違った形で伝えられてしまいます。その結果、武帝は李陵の家族を皆殺しにしてしまいました。その後、李陵は且鞮侯単于の娘と結ばれて、子供を設けた上で匈奴の右校王となり、亡くなる紀元前74年まで匈奴の人間として生きていました。
【キングダム】信の作中での活躍や性格
『キングダム』の信は、史実上の実在モデルである李信と異なる部分も多いキャラですが、作品の主人公としては魅力的なキャラとなっています。そんな『キングダム』の信について、作中での活躍や性格を紹介します。
信の作中での活躍
『キングダム』の信は戦災孤児の下僕として始まり、王都奪還編では政を守り抜いた活躍から平民になりました。次に、滎陽攻めの蛇甘平原戦で敵地の奪還や敵将の撃破などの功績を挙げ、百人将になりました。馬陽編では王騎に「飛信隊」という名前を貰い、趙の将軍である馮忌を倒し、三百人将に格上げされます。魏軍との決戦前に一時的に千人将となり、廉頗四天王の一人である輪虎を倒して正式に千人将となりました。
合従軍編では麃公の元で戦い、緒戦で趙将軍の万極、蕞の攻防戦で龐煖を倒したことで三千人将に昇格します。さらに、四千人将になった後の著雍の戦いで魏火龍七師の一人である霊凰を倒して五千人将となり、黒羊の戦いでは、趙軍総大将の慶舎でも勝利を納めますが、その際には武勲が取り消されてしまいます。そして、鄴攻略編で龐煖を倒した後に、将軍への昇格を果たします。
信の性格
『キングダム』の信の性格は、基本的に短気で直情型な人物であり、戦闘においても乱雑なところがあります。そのため、周りからは馬鹿な隊長と見られてしまいます。一方で、根は優しく義理人情に厚い人物でもあり、純粋な部分もあります。そのような戦での強さと人の良さから上の立場の物や年上から気に入られやすく、若くしてカリスマ性を持っている人物です。
信の強さ
『キングダム』の信は、漂から受け継いだ剣による剣術や腕力・速度を活かした戦いを得意としています。また、王騎の重い大矛を使い始めた直後は上手く操れませんでしたが、戦いを繰り返すうちに使えるようになっていきました。このように、信と関りがある人物から思いを受け継いで戦うことで力を発揮できます。将軍としては、戦術や戦略を考えるのには向いていませんが、実戦では勘や流れを汲んで戦う本能型の武将と言われています。
【キングダム】信は誰と結婚する?
『キングダム』の信の実在モデルである李信は子孫を残していますが、誰と結ばれたかについては記されていません。そのことから『キングダム』の女性陣の中で信が誰と結婚するかについて様々な考察がなされています。そんな『キングダム』の信が誰と結婚するかについて候補を紹介します。
信の結婚相手候補①羌瘣
『キングダム』の羌瘣(きょうかい)は秦軍の兵士である女性で、伝説的な刺客一族の蚩尤(シユウ)の末裔です。魏との戦いで登場し、本来の目的としては政の暗殺を計画していましたが、結局は殺さずに終わります。その後は信の飛信隊の副将となっており、信に代わって計略を立てる役割を担っています。信に対しては、政と共に暗殺対象となっていたことから初めはほとんど喋っていませんでした。
しかし、暗殺を失敗してからは徐々に心を開き始めており、物語が進むに連れて信への好意と思われる描写が増えていきます。飛信隊に帰って来た時には信の子供を産みたいと発言したり、龐煖との戦いで一度死んでしまった信を蘇らせる際、禁じられた術で自らの寿命を差し出す時に「全部やる」と迷わず言ったりしています。また、信が自分を助けた理由を聞いた際、礼から信が好きだという言葉に対して一度は否定しつつも認めています。
信の結婚相手候補②河了貂
『キングダム』の河了貂(かりょうてん)は、梟鳴(きゅうめい)という山民族の末裔であり、黒卑村で会った時点では鳥の頭の形をした蓑を被って行動していました。後に千人隊となった飛信隊に合流しており、当時不在だった羌瘣の代わりに軍師の役割を果たしています。信は最初に会ってから飛信隊で再会するまで河了貂がオレと言っていたことから男性と思っており、女性と知った際には驚いていました。
そんな河了貂に対して信は少年時代からの付き合いであるため、一人の妹のように思っており、大切な身内として扱っています。一方、河了貂は敵の捕虜となった時に信の夢が叶って欲しいという気持ちと同時に、信と幸せになりたいという望みを口にしています。その感情が信と同じように身内と思っているか、それ以上の感情があるか定かではありませんが、信への想いは確実にあるようです。
信の結婚相手候補③陽
『キングダム』の陽(よう)は秦の宮女の1人であり、作中では同じく宮女である向(こう)と共に登場するシーンが多くなっています。そんな向から信が秦王暗殺計画で活躍した話を聞いた際、信を意識しているような描写が描かれました。その後、毐国が咸陽に侵攻した際、重傷を負った向を陽が庇おうとします。その時に信が割り込んで陽を助けており、その姿に陽はときめいていました。
【キングダム】信に対する世間での評判や人気
ここでは『キングダム』の信について世間での評判や人気を紹介します。作品で信を見たことから、実在モデルの李信にも興味を持った人は多く、李信や中国全体の歴史と絡めつつさらに作品を楽しんでいるようです。
『キングダム』の信について、実在モデルである李信の情報の少なさに驚く感想が出ていました。作中の信は破竹の勢いで活躍していくことから、実在モデルの李信も「天下の大将軍」たる存在になっているのかと思っている人が多かったようです。一方で、情報が少ない李信だからこそ『キングダム』の主人公として肉付けしやすかったと見る人や政に信頼を置かれいた点は共通するなど、モデルとなったことに納得する人もいます。
『キングダム』の信の結婚相手について、作中の活躍よりも気になるという意見が出ていました。実在モデルの李信に子孫がいることや作中で信に好意を寄せるキャラが見られることから、信が作中で結婚する可能性が高いと考える人が多く、現時点では関係性が強く描かれている羌瘣と結ばれる可能性が高いと考える人が多いようです。一方で、羌瘣が寿命を削ったことから死亡フラグが立っていると不安に思う意見もありました。
『キングダム』の信の実在モデルである李信について、彼の子孫の歴史も知ると面白いという感想がありました。不明な点が多い李信と比較すると、李淵や李広は逸話を含めて記録が残っており、後に王族となる人物もいた点など歴史を絡めて楽しめるようです。信の子孫を始めとした『キングダム』からの繋がりで中国の歴史を好きになっていく人も多く、他の中国の時代を舞台とした作品を見るきっかけにもなっています。
【キングダム】信は実在した李信がモデルだった
『キングダム』の信は将軍となった際に李信と名乗るようになり、歴史上に実在したとされる李信をモデルにしています。しかし、実在モデルの李信は歴史書に残っている記録が少ないことから大将軍になったかどうかなど不明な点が多く、歴史上の活躍と作中の信の活躍が必ずしも一致するわけではないようです。そのことから今後の信の活躍や結婚相手などが考察されているので、興味がある人は李信の歴史にも注目してみてください。
この記事のライター
十文字猛
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