【キングダム】王賁(おうほん)は史実で実在している!実力や最後についても
大人気漫画『キングダム』で活躍する王賁(おうほん)は、史実でも実在する人物でした。そこで、本記事では史実での王賁がどのような人物だったのか、その姿を明らかにします。また、『キングダム』で描かれている王賁の実力やその活躍ぶりについても紹介します。
目次
【キングダム】王賁とは?
大人気漫画『キングダム』は、中国の春秋戦国時代を舞台にしています。そのため、登場人物はすべて史実に実在すると思われがちですが、多くの漫画オリジナルキャラクターも活躍しています。その中で、人気キャラクターの王賁(おうほん)は、史実に実在するキャラです。そこで本記事では、史実上の王賁とはどのような人物だったのかを中心に紹介します。
王賁のプロフィール
王賁は、王翦(おうせん)の嫡男になります。『キングダム』の主人公・信が慕う王騎(おうき)と同族になりますが、王賁の家系の方が王氏の宗家です。そのため、王賁はプライドが高く、出自の全く異なる信に対する対抗心も人一倍強いものがあります。しかし、誰にも負けない努力家で、強さと実力は相当なものがあります。王賁は、玉鳳隊(ぎょくおうたい)百人将からスタートし、戦功を上げるたびに地位を向上させ、大将軍までもう一歩というところまでたどり着きました。
キングダムの概要
『キングダム』は、原泰久(はらやすひさ)による漫画作品です。中国の春秋戦国時代に中華統一を果たした秦の始皇帝と武将の李信を主人公とした本作は、「週刊ヤングジャンプ」(集英社)誌上で2006年にスタートし、現在も連載中です。2013年には、第13回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しました。テレビアニメは、2012年の第1シリーズがスタートし、2022年には第4シリーズまで放送されました。
キングダムのあらすじ
数百年に及ぶ春秋戦国時代末期の紀元前245年、中国最西端の秦という国に、信と漂という戦災孤児がいました。2人とも大将軍になるという目標を持ち、修行に明け暮れていました。ある日、2人は秦の大臣である昌文君に出会います。そして、漂のみ仕官することができました。ところが仕官して1か月後に、漂は瀕死の状態で戻ってきます。そして、信に地図と夢を託して絶命しました。そして、今度は信が大将軍になるという夢を抱いて仕官することになりました。
【キングダム】王賁は史実で実在?最後は?
『キングダム』は春秋戦国時代末期の中国が舞台です。後に秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)を中心に、李信など多くの人物が登場します。その多くは、史実に実在する人物ですが、漫画オリジナルキャラもいます。その中でも王賁は史実に実在する人物で、その足跡は歴史書に記されています。ここでは、史実に記されている王賁の姿とその家族について紹介します。
王賁は史実で実在する?活躍は?
『キングダム』の人気キャラの1人王賁は、史実に実在する人物です。父親の王翦の元で、若い頃より武将として活躍しました。秦による中華統一の中心人物で、魏・燕(えん)・代(だい)・斉(せい)を滅ぼしています。始皇帝の足跡を記した歴史書「始皇帝本紀」には王賁の活躍ぶりが数多く記載されており、魏の大梁城(だいりょうじょう)の水攻めや斉への侵攻で斉王を虜にするなど、多くの戦果を上げています。このことから、王賁は史実上でも強さと実力を兼ね備えた将軍であることが分かります。
王賁の史実での最期は?
始皇帝が中華統一を成し遂げた後の王賁は、通武候に報じられ、始皇帝の東方巡幸にも同行したと歴史書に書かれています。このことから、世の中が平定されてからも、王賁は始皇帝に仕えていた可能性があります。しかし、二世皇帝が即位した時にはすでに世を去っていたとも書かれているので、始皇帝が存命中に死亡したものと推測されています。王賁の最期の様子は不明ですが、王賁の息子が二世皇帝に仕えていることから、病気などで死亡したのではないかという説が有力です。
王賁の史実での家族
『キングダム』に登場する王賁は史実に実在しますが、その家族についても、何名かは歴史書で確認することができます。また、王賁の子孫には芸術の分野で誰もがその名を知っている有名な人物も輩出していました。そこで、史実における王賁の家族について紹介します。
史実の王賁の父親
王賁の父親は王翦です。王翦は、始皇帝による秦の中華統一の最大の功労者と言ってよい活躍をしており、中国の戦国時代の戦国四大名将の1人です。中華統一で最大のライバル楚の攻略では、後の始皇帝である政が諸将に策を尋ねたところ、王翦は「兵60万人が必要」と答えたのに対し、李信は「20万人」で十分としたため、李信の意見が採用されました。それで、王翦は引退を申し出て隠居することにしました。しかし、李信は楚攻略に失敗し、逆に秦が滅亡するかもしれない危機に陥りました。
そこで、政は王翦の邸宅に赴き、王翦を将軍に復し、60万人の兵も与えました。戦に赴いた王翦は、楚軍を倒して楚を滅ぼしました。しかし、60万人の兵は秦へ反乱するのにも十分すぎるほどの兵力でした。そのため、政の周辺には謀反を疑う声もありましたが、王翦は何度も政に戦勝後の恩賞を問い合わせる手紙を送ります。恩賞に気をとられていると見せかけ、反乱する気がないことを政に示していたのです。そういうこともあり、王翦は天寿を全うしたと伝えられています。
史実の王賁の母親
『キングダム』では、王賁の母親は朱景(しゅけい)という名前の女性です。しかし、史実には母親の名前はおろか、どのような人物だったかも記されていません。したがって、朱景というキャラは漫画のオリジナルになります。
史実の王賁の祖父
史実では王賁の祖父についても不明です。『キングダム』では、王賁は自分の家系は王宗家であると語っています。しかし、史実上では、宗家かどうかを判断する材料はありません。祖父が不明である点については大きく2つの説があります。1つは、歴史に名を残すような人物ではなかったという説です。もう1つは、秦の次の王朝である漢が自らの正統性を主張するために都合の悪い文書は葬り去ったため、王氏の祖先をたどれなくなったという説です。
史実の王賁の子供
史実では、王賁には少なくとも子供が1名いて、王離という名前の息子のいたことが分かっています。王離も、祖父の王翦や父の王賁と同じく武将であり、始皇帝や二世皇帝に使えました。秦に対する反乱軍討伐でも活躍しましたが、鉅鹿(きょろく)の戦いでは、楚軍を率いていた項羽に捕らえられました。史実が伝えているのはここまでで、その後の処遇に関しては一切分かっていません。
史実の王賁の子孫
『新唐書』という書物によると、王賁の子である王離には王元・王威という2人の息子がいます。兄の王元の子孫は、琅邪王氏(ろうやおうし)と言われています。この琅邪王氏は後の魏晋南北朝時代に門閥貴族と言われ、一族の中からは書聖と言われる王羲之が出ています。弟の王威は前漢の揚州刺史(ようしゅうしし)という官職に就き、太原王氏(たいげんおうし)の祖となったと伝えられています。
【キングダム】王賁の実力や名言
史実での王賁は、始皇帝による中華統一の立役者で強さも実力も備えている武将でした。では漫画の『キングダム』では、王賁はどのような活躍をしているでしょうか。ここでは、『キングダム』に描かれている王賁の強さを見ていきます。
王賁の実力や強さ
王賁は、その血筋から幼少期より優れた武人になるための英才教育を受けていました。そのため、若くして戦術や戦略に長けています。また、槍術は厳しい修練により鍛え上げられており、必殺技の龍指(りゅうし)は変則的な動きをして槍が曲がっているようにも見えるため、初見で防ぐことはほぼ無理な技です。ライバルの信や蒙恬(もうてん)と実力や強さを比較すると、王賁は武力と知力とのバランスがよく、どちらも秀でている優れた武将と考えられています。
王賁と信の関係
王賁と信とはほぼ同年代ですが、出自は全く異なります。王賁は王宗家の嫡男でそのことにプライドを持っています。当初、王賁は戦災孤児の信を馬鹿にし、笑いものにしていました。しかし、武勲を重ねるうちに、お互いに武将として認め合うようになります。ただ、性格的に合わないのはどうしようもなく、激しい言葉の応酬になったり、武器を抜いてやりあったりすることもありました。この2人を変えたのが朱海平原の戦いです。ここで初めて真剣に向き合うことになりました。
王賁の名言
『キングダム』の登場人物である王賁は、王宗家の嫡男ですが、百人将からスタートして今の地位を築いてきました。血筋だけでなく、努力家でもある王賁は、また知将でもあります。口数の多いキャラではありませんが、重みのある言葉を多く残しました。ここでは、その中でも選りすぐりの名言を紹介します。
王賁の名言①「本気で変えたいなら…」
本気で変えたいなら自分が軍の頂上に立つしかない。
出典: somanystars.net
『キングダム』原作第18巻の山陽攻防戦で、王賁は高狼城(こうろうじょう)を井闌車(せいらんしゃ)を用いて攻め込みました。玉鳳隊が城門を破り、蒙恬の楽華隊(がくかたい)が城を陥落させました。ところが、しばらくすると秦国軍兵士による魏国の民への凌辱行為が行われていました。そのありさまに激昂した信は、自軍の千人将を切りつけました。それを聞いた王賁が蒙恬に語った言葉です。
王賁の名言②「中華に名を刻む…」
中華に名を刻む大将軍には決して届かぬ
出典: somanystars.net
『キングダム』原作第37巻において、王賁は「槍の紫伯(しはく)」と対決しました。王賁は、紫伯とは一度対決し敗北しています。その紫伯と再び対決することになりましたが、王賁はなかなか紫伯の槍さばきをかいくぐることができませんでした。しかし、幼少期より修練を重ねていた王賁は、紫伯の槍をとらえ始めました。この名言はその時の心情を吐露した言葉です。
王賁の名言③「今この戦況にあって…」
今この戦況にあって本営からの指示も援軍も来ることはない
『キングダム』原作第53巻では朱海平原の戦いが描かれています。趙軍は主力がほぼ無傷でしたが、秦軍は明日にでも兵糧が尽きるという瀬戸際に立たされていました。そこで、玉鳳隊隊長の王賁は飛信隊隊長の信を呼び出して話し合いをします。二人がまともに話し合うのは初めてでしたが、王賁は信にもはや戦術でどうこうなる状況ではないと語り、隊の覚醒を求めました。
翌日は戦いが始まって12日目でしたが、兵糧も尽きてしまいました。 その上、王賁には父であり大将でもある王翦の実子ではないという噂が広まっていました。それで、見捨てられたのはないかという疑惑が玉鳳隊内部に漂っていました。そのような雰囲気の中で、王賁は時を玉鳳隊に語りかけます。王賁は、隊員に「友よ、力を貸してくれ」と呼びかけました。隊長から友と言われた玉鳳隊は皆鼓舞し、王賁は隊の覚醒に成功したのです。
【キングダム】王賁の声優
ここまで『キングダム』の登場人物・王賁の史実での実像や、漫画『キングダム』での描かれ方を見てきました。その王賁をテレビアニメでは誰が演じているのでしょうか。ここからはテレビアニメ『キングダム』で王賁を演じた声優を紹介します。
王賁の声優は「細谷佳正」
『キングダム』で王賁を演じている声優は、細谷佳正(ほそやよしまさ)です。細谷佳正は芸達者な声優であり、少年から青年、また渋い壮年期の男性まで何でもこなすことができます。『キングダム』における王賁役でも、プライドが高く、同時に生真面目な性格の王賁を的確に演技しているとして高い評価を得ています。
細谷佳正のプロフィール
- 出身地:広島県尾道市
- 生年月日:1982年2月10日
- 血液型:A型
- 身長:176cm
- 所属事務所:フリー
- 受賞歴:第8回(2014)・第10回(2016)声優アワード助演男優賞
細谷佳正は、高校在学中は演劇部に所属し、舞台俳優を目指していましたが、断念して声優を志しました。2004年にマウスプロモーションに所属し、当初は海外ドラマや映画の吹き替えを中心に活動をしました。アニメは2005年の『ギャラリーフェイク』が初仕事で、2007年のOVA『テニスの王子様 Original Video Animation 全国大会編 Semifinal』の白石蔵ノ介でブレイクすることになります。2014年に所属事務所を離れ、現在はフリーで活動しています。
細谷佳正の主な出演作品
- 『刀語(かたながたり)』鑢七花(やすりしちか)役(テレビアニメ初主演)
- 『ちはやふる』綿谷新(わたやあらた)役
- 『黒子のバスケ』日向順平役
- 『進撃の巨人』ライナー・ブラウン役
- 『ストライク・ザ・ブラッド』暁古城(あかつきこじょう)役
- 『文豪ストレイドッグズ』国木田独歩役
- 『ましろのおと』澤村若菜役
【キングダム】王賁に対する世間での評判や人気
『キングダム』に登場する王賁は、信や蒙恬と共に後の大将軍を目指す人気キャラの1人です。血筋だけでなく血の滲むような修練を重ねている姿に、多くの人が心を奪われています。ここでは、SNSの投稿を通して王賁に対する反応を探ります。
王賁は、登場初期には信のことを見下していました。その時の発言は、王賁が人間的に成長を遂げた後でもSNS上でよく引用されています。それだけ、インパクトの強い言葉だったと受け止められています。
『キングダム』の中でも、屈指の名場面が王賁と信による隊の覚醒です。なかでも「友よ」から始まる言葉は、読者の心にも深く印象に残りました。そのため、直接引用したり、イラストを描いたりするなど、さまざまな投稿が見られます。
王賁と信は、ストーリーが進むにつれて、良きライバル関係になってきました。なかなか口には出さないものの、互いの実力や強さを認め合っていることは随所にうかがうことができます。王賁と信に蒙恬を加えた3名の絶妙な関係は、よく投稿のネタにもなっています。
【キングダム】王賁は史実で実在していた
『キングダム』に登場する王賁は史実に実在する人物でした。史実上の王賁は始皇帝による中華統一に大いに貢献しました。そこからは王賁の実力の高さや強さのほどをうかがい知ることができます。また、『キングダム』で描かれている王賁は、登場当初こそ人を見下したような発言が見られましたが、回を重ねる毎に魅力が増しているキャラです。これからも『キングダム』における王賁の活躍に注目しましょう。
この記事のライター
makkun402
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