【鬼滅の刃】産屋敷家は短命の一族?呪いの真相や鬼舞辻無惨との関係も調査
『鬼滅の刃』の産屋敷家が短命の一族と言われる所以や無惨との関係性を考察します。そして産屋敷家のキャラクターを一覧で紹介し、産屋敷家のモデルや財源についても解説します。更に『鬼滅の刃』ファンからの産屋敷家に対する評判もまとめています。
目次
【鬼滅の刃】産屋敷家とは?
産屋敷家とは『鬼滅の刃』において、鬼とその始祖であり首領でもある「鬼舞辻無惨」を討つために組織した鬼殺隊を創設・運営した一族です。ただ単に鬼殺隊を組織しただけでなく『鬼滅の刃』の物語に深く関係する一族でもあり、重要な役割を果たすことにもなります。産屋敷家は主人公「竈門炭治郎」よりも鬼との関係がある一族といえるでしょう。
産屋敷家とは?
『鬼滅の刃』における最大の敵、鬼舞辻無惨を倒すために鬼殺隊を組織し、組織を運営・統括を行う役目も担います。産屋敷家の当主は97代目にあたる産屋敷耀哉で、家族は妻と5人の子供を持っています。産屋敷一族の歴史は古く、平安時代まで遡るとされていますが、決して繁栄した一族とは言い難いようです。また歴史の表側で活躍することはなく、日本の歴史を陰から支える役目を果たしてきた一族といえます。
鬼滅の刃の概要
大正時代の日本を舞台に描かれた『鬼滅の刃』は、鬼狩りをテーマにした和風ダークファンタジー漫画及びアニメなどの作品群です。漫画家「吾峠呼世晴」による同作は「週刊少年ジャンプ」2016年11号から連載を開始し、全205話(単行本23巻)で完結しました。現在もアニメが進行中で、その人気は全世界的な社会現象として取り上げられるほどです。
鬼滅の刃のあらすじ
亡き父の跡を継いで炭焼きを家業として暮らす「竈門炭治郎」は、自分の留守中に家族を鬼に惨殺されてしまいます。かろうじて生き残った妹「禰󠄀豆子」は鬼にされていました。「冨岡義勇」「鱗滝左近次」の助けを受け、妹を人間に戻すべく鬼殺隊に入隊した炭治郎は、鬼の頭領「鬼舞辻無惨」を倒すべく、常人離れした修行と非常識な強さを持つ鬼の討伐を経て、仲間とともに成長していきます。
【鬼滅の刃】産屋敷家は短命の一族?無惨との関係を考察
鬼殺隊入隊試験で最終選考の案内役を務めたのが、ミステリアスだった産屋敷輝利哉とかなたです。また柱合会議で姿を現した「お館様」産屋敷耀哉も同じような雰囲気を有していました。善と悪、敵と味方という点を考慮しなければ、見た目の点も相まって鬼舞辻無惨とよく似ている印象を持つのではないでしょうか。なぜ産屋敷家の人々と鬼舞辻無惨が似ている雰囲気を持っているのか、産屋敷一族の秘密とともに振り返ってみましょう。
鬼舞辻󠄀無惨と産屋敷家は同じ血筋
産屋敷家、特に当主の産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨が似ている理由は、彼らが同じ血筋の一族だったからです。産屋敷家と無惨が同じ血筋であることは耀哉自身が語っていた通りで、千年以上の時を隔ても血筋を感じさせる似通った風貌でした。産屋敷一族は短命で97代まで代を重ねていきますが、それだけ遠い血縁となったのにも関わらず、因縁さえ感じさせるのに十分なほどに似ていた2人です。
鬼舞辻󠄀無惨の過去
鬼舞辻無惨ははじめから鬼だったわけではなく、元は産屋敷家と血筋を同じくする一族の人間だったことが『鬼滅の刃』作中で述べられています。無惨はどのような経緯を経て鬼になったのでしょう。『鬼滅の刃』内で明かされた無惨の過去を振り返り、物語の元凶として千年以上前から存在する無惨と産屋敷家との因縁と謎を考察していきましょう。
過去①病弱な体で生まれた無惨
鬼の始祖となった鬼舞辻無惨は、千年以上前の平安時代に生まれた貴族の子でした。大正の世では不死身を誇る強靭な肉体を持っていますが、生まれた時は体が弱かったことが『鬼滅の刃』の作中で描かれています。それはまだ生まれる前の胎児の頃から幾度も心臓が止まりかけていたほどの弱さであり、出産時も仮死状態で生まれています。死産として火葬される直前に、かろうじて産声を上げたと無惨自身が述懐していました。
過去②医者から治療を受けるが改善されず
何とか生きて生まれてこれた無惨でありましたが、体の弱さは成長しても改善されることはなかったようです。20歳までに死ぬと言われてしまうほど病弱でした。そんな無惨を少しでも長く生きられるようにと、ある医者が尽力します。その医者の研究成果として、とある薬が完成します。この薬の投薬によって無惨の生命力に改善を期待しますが、効果は現れませんでした。
過去③無惨が医者を殺す
薬を投与し無惨の体は回復するかと思われたのですが、期待に反して効果は現れませんでした。現代なら効果が現れるまである程度の時間(日数)を要することが理解できるでしょう。当時の人間が薬の効果をどう見ていたかは不明ですが、効果がないと判断した時点で無惨は医者を殺してしまいます。無惨のこの行動を見れば、人間だった頃から短期で自分勝手で残虐な性格だったことがよく現れています。
過去④処方された薬で鬼になる
薬の効果もなく、その薬を作った医者を殺してしまった無惨には、死を待つしか手はなかったでしょう。あるいは他の医者の手配を準備していたのかもしれません。しかし医者を殺害した後で、薬の効果が出始めたことを知ります。体調は改善し、健康体どころか超越的な力をも手に入れました。しかし代償として、陽の光は毒となり、人間の血肉を喰らうようになります。性格が既に鬼だった無惨は心身ともに鬼そのものになっていました。
産屋敷家は短命の一族?呪いとは?
無惨が鬼になった関係で産屋敷家には呪いがかかります。それは産屋敷家の男子は体が弱く早死にするというものです。この呪いによって一族そのものが衰退していきます。いよいよ産屋敷家が途絶えそうになった時、一族から出た鬼を倒すために心血を注ぐよう、神主から助言を得ます。これを守り、産屋敷家は途絶えることはなくなりました。さらに神職の家から妻をもらうことで子孫はさらに途絶えにくくはなりましたが、男子は30歳まで生きることは叶いませんでした。
産屋敷家の呪いは最終的に解かれた?
産屋敷家の呪いを解くには一族に関係する鬼舞辻無惨を倒すことが必要でした。最終的には漫画『鬼滅の刃』において無惨を倒すという産屋敷家の悲願は成し遂げられます。その結果、8歳で当主となった産屋敷輝利哉は呪いとの関係を断ち切って、30歳を超えて生き永らえることができました。『鬼滅の刃』最終話では現在まで長寿を保ち、117歳を迎えて元気に過ごしている様子が描かれています。
【鬼滅の刃】産屋敷家のキャラ一覧
ここからは産屋敷家の人々を紹介していきましょう。『鬼滅の刃』の作中に登場した産屋敷家の人間は、短命の呪いを受けているため必然的にみんな若いわけですが、呪いの影響か子ども達でさえどこか達観した世界観を持っているような雰囲気を持っています。鬼舞辻無惨を倒すために存在しているといっても過言ではない産屋敷家の人々はどんな人物像をしているのでしょう。
産屋敷家のキャラ①産屋敷耀哉
産屋敷耀哉は鬼殺隊を束ねる「お館様」であり、産屋敷家の97代当主で、5人の子どもたちの父親です。産屋敷家の呪いにより病弱で、物語が進むにつれて病が進行し生きているのが不思議なほどの状態でした。無惨に来襲された際は来襲を予知していて、無惨を葬るために妻と娘2人を道連れに屋敷ごと爆死します。無惨を倒すため、決死の覚悟を持って臨んだことを物語る行動です。なお産屋敷耀哉は1/fゆらぎという声の持ち主で、その声を聞く人間に安心感や心地よさを与えてくれるカリスマ性を持っていました。
産屋敷家のキャラ②産屋敷あまね
産屋敷耀哉の妻として嫁いできた「あまね」はいわゆる姉さん女房、耀哉の4つ年上で5つ子の母親です。旧姓が神籬(ひもろぎ)のあまねは元神職でもあります。耀哉が13歳の時にお見合いして結婚を決意します。耀哉のあまねを慮る言葉で結婚を決意したということでした。病に冒された耀哉をかいがいしく支え、無惨の来襲時には耀哉と2人の娘と運命を共にして耀哉の自爆に殉じます。
産屋敷家のキャラ③産屋敷輝利哉
産屋敷輝利哉は耀哉とあまねの子どもで、5つ子の中で唯一の男子です。また子どもたちの中で1人だけ黒髪でした。産屋敷家では男児は病を避けるために13歳まで女の子として育てられるため、初登場時は女の子だと思われていました。4人の姉妹もですが、母のあまねに姿が似ています。耀哉とあまねと2人の姉を亡くした後に産屋敷家98代当主として、8歳ながらも鬼殺隊の指揮を執ります。無惨の死亡により呪いは解け、めでたく117歳の誕生日を迎えることができました。
産屋敷家のキャラ④産屋敷ひなきと産屋敷にちか
産屋敷ひなきと産屋敷にちかは、あまねの産んだ5つ子の長女(ひなき)と次女(にちか)に当たります。子どもたちはみなよく似ているので、ひなきとにちかも髪飾り以外に見分けがつきません。彼女たちは視力を失った父、産屋敷耀哉の目となり、身の回りの世話や補助をしていました。無惨来襲時には鞠で遊んでいた2人でしたが、耀哉による自爆攻撃に殉じることになります。
産屋敷家のキャラ⑤産屋敷くいなと産屋敷かなた
産屋敷かなたと産屋敷くいなは、産屋敷家の5つ子でひなき・にちか・輝利哉の妹になります。やはり姉兄とよく似た姿をしていますが、かなたは気が弱く運動が苦手で琴が得意、くいなは気が強く運動が得意で虫にも強いという違いがあります。両親と姉2人を亡くした後は当主になった輝利哉を支えました。輝利哉が30歳になっても生存できたことを涙を流しながら喜び合います。
【鬼滅の刃】産屋敷家のモデルや財源
これまで産屋敷家のキャラクターにスポットを当ててきましたが、ここでは『鬼滅の刃』に登場する産屋敷家そのものにも注目してみましょう。さらには産屋敷家だけではなく鬼殺隊を維持・運営するための財源はどうなっているのかという点にも注目していきます。
産屋敷家のモデル
産屋敷家の屋敷のモデルとなる場所は公式による明言はありません。なおファンの間では「モデルではないか?」といわれ、聖地巡礼される所が2箇所あります。福岡県柳川市にある「立花氏庭園」と、新潟県新潟市にある「北方文化博物館」です。どちらも大広間からの様子が産屋敷家によく似ています。また春に藤の花が咲き誇る点も共通しています。
産屋敷家という名字は実在する?
産屋敷という名字は『鬼滅の刃』で初めて知ったという人も多いでしょうが、実在する名字です。全国順位では22181位で、全国ではおよそ190人ほどの産屋敷さんがいるとのことでした。なお作中での読みは「うぶやしき」ですが、「うむやしき」と読む産屋敷さんもいるそうです。和歌山県と三重県南部の紀伊国牟婁郡が産屋敷姓の起源とされています。
産屋敷家の財源
上記の大正コソコソ噂話は未確認ですが、産屋敷家の財源はどうなっているのでしょう。鬼殺隊の運営も受け持つ上に、所有する敷地や建物類も維持・管理するためには相当な資金が必要になるはずです。それらを賄う事ができるのは産屋敷家が勘に優れた一族であり、先見の明を持つ能力があるからと推測されています。各種の相場を読み、投資して儲けるにはこの能力は実に有効です。また平安期から続く一族なので、陰陽師のような職で財を成したという考察もあります。
産屋敷家と天皇のつながり
『鬼滅の刃』の作中で産屋敷家と天皇家のつながりについては確認できません。確かに描写はありませんが、産屋敷一族の持つ勘の良さや先見の明という能力は、千年以上の歴史の中で天皇家との接点があった可能性を感じさせます。帝の病を祓うために祈祷するといった陰陽師的な依頼は、あっても不思議はないでしょう。平安時代で貴族だった産屋敷家ならなおさらです。
【鬼滅の刃】産屋敷家に対する世間での評判や人気
ここからは産屋敷家について世間ではどのような評判があり、人気があるのかを探っていきましょう。産屋敷耀哉をはじめとする悲劇の一族は世間ではどのように見られているのでしょうか。
廃刀令は明治9年ですから、大正時代としてもだいぶ昔の法令です。刀はどうしたって目立つ代物ですが、鬼の出現は夜に限るので何とかなるのかもしれません。政府公認の組織でないのも、鬼の存在を鬼殺隊の働きでカモフラージュできたからなのでしょう。何といっても鬼は産屋敷家から出た問題であり、一族の私怨対象でもあります。代々貴族の産屋敷家なら、時の政府なら誤魔化せてしまう力を持っていたのかもしれません。
さまざまな疑問を持っても、物語の伏線の回収やその後の展開で納得させてしまうのが『鬼滅の刃』の作者によるストーリー作りの凄さなのでしょう。産屋敷家の各キャラクターも命を散らしたもの、生き残ったものそれぞれのバックボーンを知ると初登場時と読後の印象もだいぶ変わったものになります。
産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の姿が千年の時を隔てても似ていたのは、血筋だけでなく因縁のくびきを断つ予兆だったのかもしれません。産屋敷家の因縁の始まりと終わりが同一の姿だったとみると、輝利哉が一族の呪いから解放され長寿を得られた証の存在が父の耀哉となるのでしょうか。
【鬼滅の刃】産屋敷家は短命の一族だった
鬼舞辻無惨が鬼になったことにより、同一族の産屋敷家は呪われて滅びかけました。滅ぶ前にかろうじて一族の存続はできましたが、それでも男子は30歳まで生きられない呪いの強さに苦しむことになります。無惨への執念が結果を出せたのは、千年前からの一族の憎悪が耀哉によって一気に風向きを変え、運命が輝利哉に味方したおかげかもしれません。命をかけた鬼殺隊や珠世の功績もありますが、無惨を倒せたのは呪いに抗う産屋敷家があったからこそなのでしょう。
この記事のライター
zedafenrir
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