【火垂るの墓】節子の死因とは?基本プロフィールも紹介

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本記事では『火垂るの墓』の主人公節子の死因は何なのかを徹底考察します。そして、節子のかわいい見た目やどうような人物像かを紹介し、同時上映された『となりのトトロ』の主人公サツキと『火垂るの墓』の節子が実は同じ年生まれの設定であることについても詳しく解説します。

【火垂るの墓】節子の死因とは?基本プロフィールも紹介

目次

  1. 【火垂るの墓】節子の死因
  2. 【火垂るの墓】節子のプロフィールや年齢

【火垂るの墓】節子の死因

『火垂るの墓』はスタジオジブリ製作、高畑勲脚本、監督で1988年に『となりのトトロ』と同時に上映された作家の野坂昭如さんの同盟小説を原作とした作品です。第二次世界大戦中の日本を舞台に、主人公である妹節子と兄清太が懸命に生きる姿が涙を誘い、今現在も多くのファンに愛されています。『火垂るの墓』作中では、劣悪な環境で食べ物もなく妹節子、兄清太は惜しくも命を落としてしまいます。本記事では妹節子にクローズアップして、節子の死因や人物像について詳しく解説していきます。

節子の死因は栄養失調という説

『火垂るの墓』の節子の死因にはさまざまな考察があります。まず1つ目は「栄養失調説」です。実のところ、原作となった同盟小説では、節子の死因は「栄養失調」であると名言されています。確かに戦時中で食料調達ができず、十分な栄養を取れなかった節子は栄養失調で亡くなってしまうと考えるのが一般的かもしれません。『火垂るの墓』の作中でも節子は痩せて頬がくぼみ、かわいかった丸い顔が見る影もありませんでした。

しかしその説には少し矛盾が生じるようです。もし栄養失調なら、エネルギーの消費量から考えると、兄である清太の方が先に亡くなるのではないかという考察もあるのです。

節子の死因は汗疹という説

2つ目の節子の死因として挙げられるのが、「汗疹」という説です。汗疹は夏の暑い時期であれば、多くの子供に現れる症状でもあり、実際節子も『火垂るの墓』の作中で背中に汗疹ができていたようです。しかし、この汗疹が直接の死因になるのでしょうか。この説には少し違った見方の考察もあり、背中にできていたのは汗疹ではなく、疥癬(かいせん)という皮膚病ではないかという考察です。疥癬はヒゼンダニというダニの一種が皮膚に寄生して起こる皮膚病であり、強い痒みと湿疹を伴います。

そして『火垂るの墓』で節子が暮らしていた防空壕は、衛生的にも劣悪であり疥癬になってしまうのも分かります。直接の死因としては、疥癬で搔きむしった背中の傷からばい菌が入り、感染症を起こしたのではないかという考察です。

節子の死因は黒い雨という説

3つめの考察は、節子の死因は黒い雨であるという説です。『火垂るの墓』作中で節子の左目に雨水が入り擦っているシーンがあります。そしてその後も目を擦るシーンがあり、目が痛いとも訴えています。節子の目に入ったのは、空襲によって工場などが爆撃され有毒物質が黒煙と共に雨になる、通称「黒い雨」であり、その影響で体調不良や免疫力低下を引き起こしたのではないかという考察です。

つまり栄養失調や汗疹というのは直接の死因というより、体調不良の要因であって、直接の原因は、黒い雨による免疫低下によるものであるという考察になります。

【火垂るの墓】節子のプロフィールや年齢

『火垂るの墓』の作中ではまだ幼い節子はただかわいいだけではなく、時にはわがままを言って兄である清太を困らせることもありますが、そんな節子は清太の生きる希望でもありました。ここからは、『火垂るの墓』のかわいい主人公節子の人物像に迫っていきます。

清太の妹である節子のプロフィール

  • 名前:節子
  • 年齢:4歳
  • 誕生年:昭和16年
  • 好物:ドロップ
  • 声優:白石綾乃

まずは『火垂るの墓』の主人公節子のプロフィールから紹介しましょう。節子の年齢は4歳でぷくぷくとしたほっぺがかわいいおかっぱ頭の女の子です。家族構成は戦争に行ってしまい作中には登場しない父と空襲で命を落とした母、兄の清太(年齢14歳)の4人家族です。ドロップが好物でいつもドロップの缶を持ち歩き、幼くして両親を亡くし、兄の清太をとても頼りにしています。節子の声優も年齢が若干5歳の白石綾乃さんが演じ、かわいい大阪弁がより節子の魅力を引き立てていました。

節子のかわいい見た目

『火垂るの墓』は第二次世界大戦中の日本を描き、人の死を身近に感じる作品です。しかし、その中でも節子の4歳児らしいかわいらしい見た目は作中の一種のオアシス的な存在でもあります。ぷくぷくとしたピンクのぽっぺや手足、子供らしいおかっぱ頭に柔和な笑顔、どれも本来なら幸せの象徴ともいえるものでしょう。母が亡くなってから、徐々に節子の風貌が変わっていってしまうのも『火垂るの墓』の印象的な場面であり、この節子の風貌の変化が辛いという理由で『火垂るの墓』を鑑賞できないという人もいるようです。

節子ととなりのトトロのサツキは同じ年に生まれた

前述のように映画『火垂るの墓』と『となりのトトロ』は1988年に同時上映されています。そして、それぞれの主人公である節子とサツキはなんと同じ年に生まれたという設定で、2人とも昭和16年生まれなのです。同じ時代に生まれた2人の少女の運命がこれほど違う結果になってしまったのはなぜでしょうか。『火垂るの墓』も『となりのトトロ』も戦時中と戦後と時代背景は違えど、サツキも節子と同じ年齢であれば戦争を経験しています。

この2人の違いは何なのかを考察すると、一番大きな原因は両親の有無ということになるでしょう。節子は幼くして両親を戦争で亡くし、一方サツキは両親とも健在で父は大学の講師といった安定した職業についています。その育った環境の違いが2人の運命の分かれ道になったといえるのではないでしょうか。

ゆさは

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