【火垂るの墓】お母さんの死因を徹底調査!トラウマシーンも振り返り
本記事では『火垂るの墓』の主人公清太と節子のお母さんの死因について徹底調査します。包帯姿のお母さんのトラウマシーンや直接の死因について紹介し、お母さんにウジ虫がたかってしまった理由も考察していきます。『火垂るの墓』の一番のトラウマシーンを振り返りましょう。
【火垂るの墓】お母さんの死因やトラウマシーン
『火垂るの墓』は作家の野坂昭如氏の小説が原作となり、高畑勲監督の元スタジオジブリが製作した長編アニメーション映画です。第二次世界大戦末期の日本が舞台になっており、戦争の恐ろしさや悲惨さを目の当たりにするストーリーに、見た人がトラウマを抱えてしまう事でも話題になりました。そして、数々のトラウマシーンの中でも、清太と節子のお母さんが包帯姿で横たわる姿が特にトラウマとなっているという人が多いようです。本記事では『火垂るの墓』のお母さんの死因やトラウマシーンについて紹介します。
お母さんの包帯姿のトラウマシーン
『火垂るの墓』のトラウマシーンの中で、一番視聴者の心に残ったトラウマシーンは清太と節子のお母さんの包帯ぐるぐる巻きの姿でしょう。『火垂るの墓』で清太たち親子が住む神戸は大規模な空襲に見舞われました。清太は心臓が悪かったお母さんを先に防空壕へと逃がしたのですが、運悪く空襲に巻き込まれてしまい、お母さんは全身に火傷を負ってしまったのです。全身火傷で焼けただれた皮膚からは、出血もあったのか、包帯にはあちこち血が滲んでいてなんとも痛々しい姿でした。
そんなお母さんの姿を目の当たりにした清太もショックが大きすぎ、病院代わりの小学校から逃げ出してしまいます。この時はかろうじで清太・節子のお母さんは息をしていたようですが、再度清太がお見舞いに来たときにはお母さんは既に亡くなっていました。
清太と節子のお母さんの死因
『火垂るの墓』の清太・節子のお母さんは神戸空襲に巻き込まれ死亡してしまいました。上述したように、お母さんは血の滲んだ包帯姿がトラウマになるほど悲惨で、その姿からお母さんの死因は空襲による全身火傷によるものと断定してもよいでしょう。火傷が体の一部であれば助かった可能性もあるかもしれませんが、包帯ぐるぐる巻きの姿から火傷は全身に至ったと考えられます。
たらればの話になりますが『火垂るの墓』で、もしお母さんが先に逃げずに清太たちと一緒に逃げていたら、このような悲惨な死に方はしなかったかもしれません。お母さんを想う清太の優しさからの行動でしたが、良かれと思ってしたことが裏目に出てしまったようです。
【火垂るの墓】お母さんにウジがたかる理由
『火垂るの墓』の清太と節子のお母さんは神戸空襲に巻き込まれ、全身火傷で死亡してしまいます。そして、その最後は血が滲む全身包帯姿にウジ虫がたかっていました。全身包帯姿だけでも十分グロく、トラウマシーンと言われているのにウジがたかっているシーンは、更に視聴者を驚愕させたことでしょう。ここからは、『火垂るの墓』のお母さんにウジがたかった理由を詳しく考察していきます。
理由①生きていても腐敗した箇所があればウジがたかる
『火垂るの墓』の清太と節子のお母さんはなぜウジがたかってしまったのでしょうか。そもそもウジとは、死んでしまってからたかるものだというイメージがありますが、実際は生きていても火傷などでただれて、腐敗している箇所があればウジはたかるようです。そして『火垂るの墓』でお母さんが亡くなるシーンは6月頃の初夏であると言われています。これから暑くなる時期にウジが発生するのは必然的なことだったのかもしれません。
また、このお母さんにウジがたかるシーンは清太が2回目にお見舞いに来た時です。最初のお見舞いからどのくらいの期間が立っていたのかは不明で、その間のどのタイミングでお母さんが亡くなったのかはわかりません。しかし、ウジが生きていてもたかるのであれば、亡くなるまではある程度の期間があったと考えられます。『火垂るの墓』は戦時中の話であり、とても衛生的とは言えない環境でした。そのような環境で、全身火傷を負ってしまったということは、ウジ虫がたかるのも容易かったのかもしれません。
理由②治療がされずに放置された
『火垂るの墓』の清太と節子のお母さんは全身火傷でウジがたかってしまうというトラウマシーンがありました。そしてお母さんにウジがたかってしまったのは、適切に火傷の処置がされていなかったからとも言えるでしょう。現代で考えれば、大火傷を負っても病院で適切に治療されればウジがわくことはありません。しかし、『火垂るの墓』の物語は戦時中の話です。どんどん同じような状態の人たちが運ばれて来たことで、治療薬にも限りがあり、重傷の患者は放置されるという事があったかもしれません。
そして空襲の最中であれば、病院には運ばれずにそのまま亡くなった人も多いでしょう。そう考えると、清太と節子のお母さんは包帯を巻いて運んでもらっただけ、マシだったと言えるでしょう。時代背景を考えると、どうしようもない事だったのかもしれませんが、結果的に『火垂るの墓』の清太と節子のお母さんは適切な治療がされずにウジがたかり、亡くなってしまったのです。
この記事のライター
ゆさは
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